春の珍事

 我が集落の運動会があった。 この時期に行われる恒例行事で、今回が56回目という伝統の行事である。昨年より一日早い開催日であったが、昨年は満開であった桜が今年は全く開花していない。 班対抗で得点を競う種目が多く、優勝を争うのである。 我が班は新興住宅地とあってまとまりが全く無く、集まりが悪い。 班長が人集めに苦労する・・と言うのがいつものパターンである。 しかし今年は違った。なぜか老人(私よりも若いのだが)連中の参加が多かったのである。 我が家も娘と孫の三人で参加した。 暖かな春の一日であった。競技は抜きつぬかれつのシーソーゲームになり、最後の最後までもつれた。 そして、あろうことか我が班が最後のリレー競技で2着と健闘し、優勝したのである。 今まで優勝には全く縁がなく、後にも先にもなく例のなかったとお年寄りが驚いた春の珍事である。 これにはもちろん我が家もそれぞれの競技で優勝に大いに貢献したのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どんな子3

 3週間も過ぎて施設から連絡が入った。面会禁止中ではあるが、その子が会いたいと言っているので来てほしい。その子は3日後に施設を出ることになったとのこと。 その子は新たにドリル帳(数、国、理、社それぞれ別冊)を買って、私がいない間も毎日決まった時間に学習を続けたようだ。全部終わったので、赤丸(チェック)をしてほしいと言う。1冊見るのに2時間もかかり、結局2日間で2冊しかチェック出来なかった。よくもこんなにやったものである。その熱心さと集中力には驚き、感心した。 ほとんど間違いのない完璧な出来であった。2日目に その子は今日でお別れだと言う。明日家に帰る。卒業式に出て、その後は家の近くに新しく出来た施設に入る予定とのこと。 「よかったね、お家に帰って一番したいことは何?」と聞いたら、「一杯寝たい、それに母さんの手料理が食べたい」と返事が返ってきた。 そう言えば、施設は老人も赤ちゃんもいろいろな人が居て、眠れないと言ったことがあった。 「余りお手伝いが出来なかったが、素直で熱心で、優しいあなたに会えてよかった。早く体が良くなって、またスポーツが出来るようになるといいね」と言うと、「ありがとう、私も先生に会うことが出来てよかったと思っている」と言ってくれた。 別れ際に、家に帰ってから見てください・・と手紙をもらった。 その中身は 「そのときの出逢いが、その人の人生を根底から変えることがある」 これは友達からもらった本の中の一節だが、これを先生に伝えたかったお礼の言葉です。先生と出会ったおかげで、私も変われた気がするんです・・と書いてあった。 ありがとう程度の文言しか想像できなかったのに、こんなに素敵な言葉をいただいた。 大人でも書けないような一言に、この子の持っている感性の鋭さはどうして養うことが出来たのだろうかと改めて感心させられた。 笑顔が素敵で、家族思いの心優しい子であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どんな子2

 次の日から学習が始まった。国、数、理、社の4科目が1冊になったドリルをそれぞれ数ページずつやっていく。私は話し相手をし、のんびりやればよいと気軽に考えていたが、その子は話しかけるのも気が引ける程真剣であった。 2日目になって途中から気分が悪いと言い出した。そうなんだこの子は病気だったのだ。 休憩時間を沢山取ろうと話した。 休憩時間にはお茶を飲みながら雑談をした。もっぱら私の体験や趣味、山登りのことであった。その子について聞くのはご法度で、触れないようにしたので、どんな病気か知らないし、どんな家庭かも全く知らない。頭の体操にと言ってなぞなぞを出された。頭を柔らかくして考えないとダメだ・・と何度も言われたが、固い頭の変換はなかなか出来ない。分からず家に持ち帰って考えたこともあった。 休憩時間は有効であった。冗談が出ることが多くなり、気持ちにゆとりが芽生えたと感じた。 5日でドリルをほぼ終了したので、次は授業を受けなかった教科書を一緒に見ようということにした。内容的に何とか私でもアドバイスが出来そうである。 次の日から教科書を開いた。 しかし、それも2日だけで終わった。 当地方ではインフルエンザが流行し、ノロウイルスの流行がピークに達したため、施設への面会が全面禁止となって、学習支援が出来なくなったのである。 身内であっても面会謝絶という厳しい措置であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どんな子?

 また私に子供支援の話がきた。なぜか最後は私にくる。子供は好きだが、専門的知識は全く持たない素人であり、経験も少ない・・のにである。要するに一番暇人だということか。
 病気で親元を離れた子の勉強を見てほしいとの依頼である。病人・・と言うのは初めてである。 勉強を・・と言うから教育ママか教育パパに違いない。高学年と聞いたが、果たして学習内容に対応できるだろうか。ベットで青い顔をしていたらどんな対応をしたらよいのだろうか・・・等と悩みは尽きない。 面会の当日、こんな老人だがその子は受け入れてくれるだろうかとドキドキしながら施設関係者の後について病室に入った。その子はベットの上できちんと正座をして待っていた。 訳のわからない自己紹介をして頭を下げたら、「よろしくお願いします」と元気な返事が返ってきた。そしてニコッと笑顔を見せたのである。 その笑顔を見た途端、私はホット安心した。 その子の顔は明らかに一緒にやろうねと言ってくれている。 家を遠く離れて、家族と離れて一人になり、大事な6年3学期なのに、クラスメートから勉強で遅れてしまう。 寂しさと焦りと施設の単調な日々に悶々としていた姿を見かねて、施設の方が学習を進めてくれたというのが経緯のようであった。教育ママからの要請ではなかったのである。  学習の進め方や時間、伺う曜日等の打ち合わせをした。毎日来てほしいというのが希望であったが、本人の体調のこともあって、土日祝日は休みとし時間も午後の2時間だけになった。 幸い学校から配布された5・6年生の復習ドリルが手元にあったので、それを中心に進めることにした。 はっきりと意思表示をするしっかりした子である。両親思いの優しさが言葉の端端に出る素直な子である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一区切り

 もうすぐ卒業式を迎える。 私も3月で学校ボランティアを辞めることにした。もともとは学校長の了解の活動であったが、昨年からある団体が学校ボランティアを取り仕切ることになり、わが身もその団体に所属することになってしまった。この団体とは考え方のズレがあって、何かと窮屈になってしまった。何人かのボランティアが日替わりで入るようになった。他のボランティアがどんな活動かはわからないが、多くの人が出入りすることによって子供達との距離が遠くなったように思う。 私を受け入れてくれた当時の先生は既にいない。校長先生も学校を去ってしまった。子供の数も減って元学級に帰る子が多くなり、お手伝いする用事も少なくなった。・・・とこの数年間で状況が一変したのである。潮時である。一区切りとしよう。 最後の支援活動に出かけ、子供達とお別れをした。先生には事前に話をしてあったが、子供達にはしていない。 帰り際に先生から子供たちに紹介された。 ある高学年の子から「絶対に辞めないで。校長先生にお願いするから辞めないで」 と涙を流して懇願された。 別れは辛いが、この言葉を子供達からのご褒美の言葉として、嬉しく心の中に留めたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

賞味期限

 人間にも賞味期限があるんだよ・・と突然孫が言い出した。面白いことを言うのである。夕食時の団らんの時であった。どうしてなのかと思って聞き返したら、人間も賞味期限があって70歳になったら仕事が出来なくなるのだという。多分学校の中で友達から聞いた話であろう。確かに・・である。賞味期限と言うかどうかは別として、70歳は大きな節目であることには違いがない。仕事に就くのは非常に難しいのは事実である。 先日ある施設で「3月一杯ボランティア活動を辞めるんだ」と話したら、ボランティアを辞めるんだったら仕事手伝ってくれないかと言われた。 少しその気になったところで、70歳の定年があるんだが・・・・と言う話が出てきた。 私はもうすぐ70になるんです…と言ったら相手は驚いて、65歳くらいかと思ったとの返事が返ってきた。若く見られたのは嬉しいことだが、世の中の慣習として、70歳という賞味期限があることを痛感した出来事であった。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卒業

 この4年間はあっという間であった。知らない土地にきて知り合いがほしい・・と言う気持ちがあって入った老人大学も卒業式を迎えた。 楽しい思い出が一杯で来た。 それは素晴らしいリーダー・副リーダーに恵まれ、個性があって愉快な良い級友に恵まれたからである。4年間続けた達成感があって、満足感があって・・・であった級友に感謝したい。 緊張しながら卒業証書をもらいに壇上に上がった。こんな緊張感になったのは遠い昔のこと以来だ。  思えば4年前、時間ぎりぎりで会場に到着し、最後に並んでハラハラドキドキしながら抽選の順番を待ち、前に並んだ4~5人が外れ玉を引いたために転がり込んできた最後の1枠。 あの時合格しなかったら、入学できなかったら、どんな4年間を過ごしていたのだろうか・・と頭をよぎることがあった。 多分平々凡々とした変化のない日々を過ごしたに違いない。  2名が大学を去ったが28名そろって卒業することができた。 それぞれの健康管理があったことに違いない。我が家でも身内に誰一人大病をしたものがおらず、この日が迎えられたことに感謝している。女房が4年間弁当作ってくれたことにも感謝しなければならない。 お別れ会では久々に日本酒を飲んだ。勧められるままに盃を重ねた。 今日は運転手(級友)の送り迎え付である。 ご機嫌になって、フラフラになって我が家にたどり着き、そのままバッタリひっくり返ってしまった。 出会いがあれば別れはつきものである。 それぞれが、またそれぞれの進路に向かって歩むことになりバラバラとなるが、卒業後も行事や同窓会での再開を約束して皆と別れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歩数

 大雪の余波で老人大学が休校となり、4学年最後の授業がボツになった。 私の行っている小学校も休校となった。 お蔭で毎日毎日除雪に専念し、足腰が痛くなる程働いた。 昨年12月に、運動不足解消のため歩数計を購入して毎日記録を取り始めた。一日6000歩を目標にしたが、よほど気にして出歩かない限り、2000~3000歩がせいぜいであった。  暮・正月と近くの山に出かけた。登山口まで車で往復して16000~17000歩であった。 普段の生活の中では、10000歩を超えることがないことが分かった。 ところがこの10日程は8000歩~10000歩を記録した。運動量が倍増し、これも思わぬ大雪の余波である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピロリ

 人間ドックの結果ピロリ菌の数値が高いから菌を減らしたほうがよいと言われた。女房は癌のもとになる悪玉だから退治すべきと言う。 医者の勧めもあって薬を飲むことにした。朝夕の2回、丸薬とカプセル状を7個ほど同時に飲む。医者からも薬局からも薬の副作用で下痢や腹痛症状が出るので、遠出の外出が無い日を選んで1週間続けて飲むように言われた。 私にとって外出しない日は無いが、土曜日から飲み始めた。初日は胃がすっきりし、それまでの鈍痛が収まった。2日目から下痢症状が出た。それも日が経つにしたがって症状が落ち着き、無事1週間が終わった。その結果の検査は3月上旬である。4・5日して風邪症状が出たので早めの対応をと思って市販の風邪薬を2日続けて飲んだ。どうもそれがよくなかったらしい。3日目に身体がかゆくなり、赤い筋状の跡が全身に出た。とにかくかゆい。 病院に行ったらアレルギー症状だと言う。飲み薬が出て、またまた薬を飲むことになった。 今度は便が固くなって難儀である。おまけに尿の出も悪い。この1か月は薬漬けの生活であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大雪

 土日・金土日と二週続けての大雪になった。特に13日から降り始めた雪は14日・15日まで続き、我が住む里も1mを超える積雪量になった。東京に出かける用事があって13日夜に20㎝程に積もった雪かきをした。留守中娘一人では除雪が大変だと思ったからである。翌日外に出てみたら、湿った雪がどんどん降り続き、新たに30cm程積もっている。4時半からまた雪かきを始めたが、かく程に積もるのも負けない勢いなのである。家の周りの歩道を確保したが、駅まではとても歩ける状況では無いと判断した。早朝友人にキャンセルの電話を入れ上京はあきらめた。”寝ぼけ眼の顔が浮かぶ” ぼんやりした友人の返事が返ってきた。 結果は正解であった。電車は全て止まり、新幹線は止まり、道路も全てストップしたのである。電車が正常に動き始めたのは3日半日後であり、その間陸の孤島と化した。毎日毎日雪かき・・・・である。小学校も2日間臨時休校となった。学校・児童クラブ・近所のお年寄りの住宅と歩道確保の雪かきにも行った。普段は雪の少ない当地方では、雪国と違い除雪体制が全くなく、人力頼みであることが分かった。田舎だから食糧を欠くことはなかったにしても、近くの農協のスーパーから野菜やパン・牛乳の類は消え空の棚が目立った。ガソリンも灯油も数量制限である。3年前の大震災後の状況が再現したのである。 昨日10日遅れで我が家に新聞(全国紙)が届いた。 今日もまた家の周囲に歩く道を確保するために雪かきをしなくてはならない。何かあった時の逃げ場の確保のために。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«健康に勝るもの